昨日からの雨降りは止む気配が無く、オマケに大雨警報まで運んできた。
こうなると屋外での作業は諦めて屋内に籠ることになるのが通例だろうし、モチュベーションの低下は計り知れないほどだ。
しかしながら、反対方向へとベクトルの向きを変えて、ちょうど良いころ合いと言ってもひと月を切ったということなのだが、杜の会の開催にに向けての調整をするには適した日々と思えばそれほど悪くは無いだろう。
つまりは、何か事を起こせばモチュベーションは復活してくるという真に勝手気ままな精神構造をしている証だ。
早速、昨日にずーっと気になっていたケーブルを新調・交換作業にはいることにした。
アキュフェーズのチャンネルデバイダからXLRで出して、中高音域のスレッショルドのパワー・アンプにRCAで入力していたシールド・ベルデンの撚り線ケーブルを、ノンシールドの単線RCAケーブルにすることにした。この音域には声や楽器のほとんどが入るので、音楽の核心を構成していて最重要なところだ。
これで一本のフォノ・ケーブルといくつかのパワーケーブル、長さのあるケーブルを除いてわが家のオーディオは全てノンシールドケーブルに衣替えしたことになる。
ノンシールドケーブルの良さはケーブル自体の独特の個性ある表現能力と、味わいの深さを秘めていることだろう。
勿論欠点を持ち合わせていて外部ノイズを拾いやすく、オーディオケーブルとしての長さには制限がある。また、オーディオ機器のみならずユーザー、ケーブル相互との相性もあるので万能とはいえない。
泥沼に足を踏み入れて、もがけども抜け出せなくなることもあり得るので、地獄を見ることの覚悟が必要。何度も失敗を繰り返せばやがて光が射してきてくれるものと諦めずに進むしかない。
とにもかくにも、音を聴いてみなければ話にならないので、お皿をターンテーブルに乗せることにする。
ケーブルの線径が細いのでエージングはアナログ・レコード5枚ほどで安定する。
プレーヤーを交換しながらアナログの国内・再発盤を7枚ほど聴く。
最初は従前の音とはあまり違わず、まあまあかなと思っているうちに、EMTのプレーヤーのステレオカートリッジの音が何とも面白くない。しかも音が真ん中に定位しないではないか。
核心となるケーブル音の交換でバランスが崩れてしまったので、チャンネルデバイダの音量を0.1デシベル毎に左右、4チャンネル分調整する羽目になった。こういうときはアナログ・ディスクよりもCDの方が調整しやすいものだ。
なんとかバランスを取り戻したところで昨日はタイム・アウトにした。
一夜明けても雨は止まないことを良いことに、今日はアナログ・レコードでのヒヤリングを実施した。
最初に、トーレンス・プレステージにSMEのアーム、カートリッジはクリアオーディオのバーチュオーソMMで、ブルー・ノートのIDLE MOMENTSを聴く。

昨日の音とは全く違っていてグラント・グリーンのギターが呟くではないか。
気を取り直してイメディア・レボリューションとPPMアーム、テクニカ33リミテッドMCカートリッジで、N D R のベートーベン・エロイカを聴く。

テンシュテットが冴えている。
間違いがあってはいけないので、リファレンスにしているEMT930stとTSD15カートリッジで、とっておきのムラビンスキー、チャコ6を奏でる。

のけ反ってしまった。これほどの演奏だったのかと改心する。
こうなれば、コルトレーンのトランジションをトーレンス124とGE VR1000カートリッジで。
コルトレーンが吠えて暴れたり、冷静になったりしている。

カートリッジをGE VRUモノラル針0.7ミルに交換して、10インチ盤ヨハンナ・マルツィーのバイオリンでモーツァルトを聴く。

何てことだ。そこでマルツィーが演奏しているではないか。
味をしめて、プレーヤーをEMTにもどして、ヨーコ・オギノメのノン・ストッパーからダンシング・ヒーローはどうだ。

きびきびしたリズム感が洪水のように押し寄せてくる。
本日最後の一枚はもちろん、百恵白書。

言葉はありません。
これ以上は自身の精神が耐えられそうにないので休暇することにした。
今のところケーブル交代は良い方向に向いているので、デットな部屋は杜の会の準備もほぼ整ったと言ってよいだろう。
今夜は雨音の中でもゆったり睡眠できるかもしれない。