2011年09月30日

アナログ・レコード鑑賞会16

今回は流行歌です。流行歌とは字のごとく流行り歌のことなのですが、歌が中心になっているところが、ジャズやクラシックなどの曲を聴く場合と違っています。歌にはその時代の文化や生活を反映していることが多く、年数を経て聞くことによって直ぐにその時代にタイムスリップできてしまいます。巷では思い出の歌とかいいますが、単なる思い出以上のものが内在されているのがほとんどです。洗濯船のお客様の中にもそっと涙してしまう方が多々います。
流行歌の範囲を特定するのは難しい(年代別とか一部のジャンル類)ので主観での展開になるのは止むを得ないことだと自己弁解しておきます。
さてそろそろスタートしましょう。今回はマッキントッシュのスピーカーに活躍してもらいますが、入口には、シュアーのタイプVカートリッジを使用し、ボーカルを全面的に聴く体制をとりました。
ソフトは全てドーナッツ盤です。一曲ごとに思い出の交換をするので大忙しになってしまいました。
最初は、坂本九の「上を向いて歩るこう」です。「幸せは雲の上に 悲しみは星のかげに」と苦しい思いでを涙で洗い流してしまいましょうと歌っています。
二曲目は、吉永小百合の「愛と死のテーマ」です。「マコとミコ ミコとマコ とってもいい感じよ」、日活映画愛と死を見つめての主題歌です。違いはありますがロメオとジュリエットやある愛の詩と同様に涙なしには聞けない歌でしょう。
三曲目は、高田美和の「十七才は一度だけ」です。「あわくもえたつ恋の芽を ひとり抱きしめ 歩く道」と、これは雑誌明星の募集歌とともに大映映画の同名主題曲です。切ない乙女心を歌っています。
四曲めは、橋幸夫の「子連れ狼」です。若草児童合唱団の「しとしとぴっちゃん しとぴっちゃん」から「ちゃんの仕事は刺客ぞな」に続いて「涙かくして人を斬る」と歌います。この曲は、週刊漫画アクションの連載の同名曲です。作者の小池一雄の詩に吉田正の曲によるものです。
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五曲めは、西郷輝彦の「君だけを」です。「いつでもいつでも君だけが 待っていそうな街の角」と昭和39年に歌われました。淡い思い出の一曲です。
六曲目は、三田明の「美しい十代」です。「つらい日もある泣きたいことも 美しい十代、抱いて生きよう幸せの花」と青春時代真盛りの若者への応援歌です。
七曲目は、舟木一夫の「君たちがいて僕がいた」です。東映映画の同名主題歌で「母にも似た優しい眼差しの君たちがいて僕がいた」と最初のセリフで言います。高校三年生や仲間たちなど一連の学園ソングとして流行りました。
八曲目は、梶光夫の「青春の城下町」です。「城山にのぼれば見える君の家」と思いの気持ちをふるさとの天守閣にこめる若者の歌です。
九曲目は、安達明の「女学生」です。「セーラー服に朝霧が 赤いカバーのラケットを」と女子高生の彼女と合致してしまいました。
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十曲目は、ぐうっと大人の歌になります。佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」です。すて台詞のような「つめたい女だと人は云うけれど いいじゃないの幸せならば」と岩谷時子の詩に複雑な思いが思い出されます。
十一曲目は、美樹克彦の「花はおそかった」です。「かおるちゃんおそくなってごめんね」と最後のせりふで「バカヤロー」はとてもショッキングな歌でした。
十二曲目は、美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」です。「雨の降る夜は心もぬれる」と男性としては高めの音程で歌われました。現在は女性としては低めの音程なのでしょうがどちらにしても大人の歌でした。
十三曲目は、青江三奈の「池袋の夜」です。「どうせきまぐれ東京の夜の池袋」と池袋の美久仁小路(みくにこおじ)の横丁が何処にあるのか探したものです。
十四曲目は、伊東ゆかりの「恋のしずく」です。「頬をぬらす恋のしずく」と爽やかに女こごろを歌います。理想的に女性に思うのは男のエゴでしょうか。
十五曲目は、園まりの「逢いたくて逢いたくて」です。「愛した人はあなただけ 心の糸が結べない ふたりは恋人」とまりチャンに歌われるともうダメでしょう。
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十六曲目は、弘田三枝子の「人形の家」です。「顔もみたくないほどあなたにむ嫌われるなんて」と弘田三枝子のイメージ・チェンジを果たした歌でした。
十七曲目は、中村晃子の「虹色の湖」です。若干ですがドロドロした歌が続いたので気分を明るい方向に転換させましょう。「幸せが住むという虹色の湖」と幸せを探し求める乙女心を歌います。
十八曲目は、ピンキーとキラーズの「恋の季節」です。「忘れられないのあの人が好きよ 青いシャツ着てさ海を見てたわ」、「夜明けのコーヒーふたりで飲もうと」と岩谷時子の詩が映えています。美女と野獣もどきの対比のグループも新鮮でした。
十九曲目は、ちあきなおみの「喝采」です。明るさを目指したのですが「喪服のわたしは祈る言葉さえ失くしてた」と暗くなり「それでもわたしは恋の歌うたっている」と希望の実現を目指す強い意志が感じられます。
二十曲目は、丸山圭子の「どうぞこのまま」です。丸山圭子の作詞・作曲で「この確かな時間だけが今の二人に与えられた唯一のあかしなのです」と歌われると心が疼いてしまいます。
二十一曲目は、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」です。「ふたりでドアをしめてふたりで名前消してその時心は何かを話すだろう」とキレのある歌い方の中に阿久悠の詩が別れの情感を映し出します。
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二十二曲目は、ピーターの「夜と朝のあいだに」です。「天使の歌をきいている死人のように おまえも静かに眠れ」と意味深長のうたでした。女装して女性的な歌声ですが女性にはなれないとの印象をもちました。
二十三曲目は、布施明の「シクラメンのかほり」です。小椋佳の作詞・作曲で「真綿色したシクラメンほど清しいものはない出逢いの時のきみのようです」と言われたら女性はたまったものではないでしょう。このころはフォークやニューミュージックから流行歌への詩や曲の提供が多くありました。
二十四曲目は、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」です。「街の灯りがとてもきれいねヨコハマ」と一度は横浜の夜景を見に行ってみたくなるほど横浜を有名にしました。
二十五曲目は、五木ひろしの「長崎から船に乗って」です。「港の女はお人よし」、「南の女は一本気」、「都会の女はうす情け」と山口洋子の詩がその地域の女気質を表します。昭和は遠くに行ってしまったようです。
二十六曲目は、テレサ・テンの「つぐない」です。「心残りはあなたのこと少し煙草もひかえめにして」、「愛をつぐなえば重荷になるからこの町を離れ暮らしてみるわ」と日本人よりも日本人らしく歌いました。
二十七曲目は、森進一の「花と蝶」です。いろいろと揉めた川内康範の詩で「花が女か男は蝶か 蝶が死ぬ時花が散る」とこれぞ艶歌と言えるのではないでしょうか。
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二十八曲目は、ロス・インディオス&シルビアの「別れても好きな人」です。「別れた渋谷で会った 別れた時と同じ雨の夜」、「恋人同士にかえってグラスかたむけた」と後悔先立たずの歌ですが若い時の性急さは気がつかないのが人生なのでしょうね。
二十九曲目は、同じような歌になりますが、梓みちよの「二人でお酒を」です。「うらみっこなしで別れましょうね」といいながら、「それでもたまに淋しくなったら二人でお酒を飲みましょうね」と優しい女ごころに泣きます。
三十曲目は、チョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」です。「トラワヨ プサンハンエ 逢いたいあなた!」と韓国への帰りを待つ切ない女ごころを歌います。何故日本人の心をうつのでしょうか。
三十一曲目は、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」です。「あなたの島へお嫁に行くの」と明るい瀬戸内の情景が浮かびます。宝塚出身の彼女のイメージにピッタリでした。
三十二曲目は、奥村チヨの「終着駅」です。「落ち葉の舞い散る停車場は悲しい女のふきだまり」、「そして今日もひとり明日もひとり過去から逃げてくる」と千家和也の詩と浜圭介の曲が女の悲しみを歌にしました。
三十三曲目は、辺見マリの「経験」です。「やめてー」から入る歌はとても斬新でした。辺見マリ19才の歌でした。
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最後の三十四曲目は、石川さゆりの「天城越え」です。「誰かに盗られるくらいならあなたを殺していいですか」と女の情念の恐ろしさを歌います。
青春歌謡から艶歌まで合計34枚のレコードを聴きましたが、まだまだ良い歌が沢山ありますので続きを期待していてください。今回の私的流行歌大賞は「天城越え」です。
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次回は、ビル・エバンスのピアノを予定しています。

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2011年08月31日

アナログ・レコード鑑賞会12

本当に久しぶりに好天となった鑑賞会ですが、今回は日本のフォーク・ソングをマッキントッシュのSPで聴きました。
日本のフォークと言っても何処から何処までがフォーク・ソングなのか、私的にはっきりしていないところがあり厄介ですがここは勝手に特定してみました。
アメリカで大ヒットしたフォーク・ソング(ブラザース・フォー、PPMなど)が日本に入ってきたのは1960年頃からだと思います。アコースティック・ギターと美しいハーモニーに新鮮なショックを受けました。若者の間で(カレッジ・フォーク)コピー演奏が流行りました。
1966年頃からはGSブームと並行するように反戦フォーク・ソングが聞こえてきたように思い出します。その曲はジョーン・バエズを象徴のようにして強い意志の中に清々しさが内在している印象を受けました。日本では関西フォークとしてベトナム戦争への反対の意思を若者が歌に託したように思い出します。楽しむためのカレッジ・フォークから問題意識の表明へと音楽が変質しました。
1970年からは問題意識を自己の内面へ向けた生活派フォークへと移り変わり、日本のフォーク・ソングらしくなってきたように思います。しばらくするとJポップとの区別ができないくらいになりました。
前置きが長くなりましたが、今回はSP10−Vに日本のカートリッジ、オルトフォンAT33LEで再生することにしました。
最初は、かぐや姫の「はじめまして」から「青春、雪が降る日に、加茂の流れに、好きだった人」を聴きました。1972年のファースト・アルバムですが、私が最初に聴いた印象では「何て軟弱な若者たちだろうか。」と思ったものですからあまり好感度は良くありませんでした。この後1973年に「神田川」が発表されると、私の考え方が少し変化してきました。「ただ、あなたの優しさが怖かった。」。何て悲しい言葉なんだろう。
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続いて、かぐや姫4thアルバム「三階建ての詩」から「22才の別れ、あかちょうちん」を聴きました。「17本目から一緒に火をつけたのが・・」、「生きていることは、ただそれだけで悲しいことだと知りました。」これは男性のあやふやな態度に待てない女性側の悲しい物語になっています。
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次は生活はフォークの英雄、吉田拓郎の「今はまだ人生を語らず」から「人生を語らず、襟裳岬」を聴きました。「あの人のために 自分などと言わず あの人のために 去り行くことだ」、「理由のわからないことで悩んでいるうち 老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月を 拾い集めて暖めあおう」、なんて優しいのだろう。1971年の第3回フォーク・ジャンボリーで聴衆からスターに選出された吉田拓郎は1972年に「結婚しようよ」が大ヒットして歌の文句そのままに六文銭の四角佳子と結婚しました。生活派フォークの真骨頂と言えると思います。
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六文銭メモリアルVol1から「へのへのもへじの赤ちゃん、面影橋から」を聴きました。「へのへのもへじの赤ちゃん あなたの地球はもうないの。」と四角が唄い、「季節外れの赤とんぼ 流してあげよか大淀に 切って捨てよか大淀に」と及川恒平がぶっきらぼうに唄います。
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六文銭と言えば、上条恒彦と一緒に歌って第2回世界歌謡祭でグランブリを受賞したことを忘れられません。上条恒彦の「出発の歌」から「出発の歌−失われた時を求めて−、だれかが風のなかで」を聴きました。この曲は偶然に一緒に歌うことになってしまったそうです。聞くところによると小室等の曲作りが間に合わないので、「それなら一緒に歌おう。」と見事です。だれかが風のなかでは、ご存じ木枯らし紋次郎の主題歌です。
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先を急ぎます。グレープの「グレープ・ライブ 三年坂」から「精霊流し、無縁坂」を聴きました。「約束どおりに あなたの愛したレコードも一緒にながしましょう。」、「後ろだけは見ちゃだめと 笑ってた白い手はとても・・・」。
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続いては、小椋佳の「彷徨」から「しおさいの詩、少しは私に愛をください、さらば青春」を聴きました。「消えた僕の若い力 呼んでみたい。」、「すこしは私に愛をください。」、「僕は呼びかけはしない 遠く過ぎ去るものに」。儚い青春の夢うつつの表現が巧みです。
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生活派フォークが中心になってしまいましたが、カレッジフォークの代表曲から、ザ・フォーク・クルセイダース゛「帰ってきたヨッパライ」を聴きました。解散前の自主製作アルバムが何故か「アングラ・レコード」として大ヒットしました。この成功によって多くのアマチュア・ミュージシャンを刺激しました。当時高校生だった南こうせつもその一人でした。
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関西フォークからは代表して岡林信康の「山谷ブルース、友よ」を聴きました。山谷ブルースは実際に山谷での生活体験から「とにかく生きなきゃあかんよ 生きなきゃ それが人間らしいちゅことや」と悟ったそうです。「友よ」は、かつて「怒れる若者の季節」と呼ばれた時代に反体制闘争の最中に象徴として生まれました。
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岡林信康の歌にはストレートに物言う爽快感があります。「それで自由になったのかい」はグサッときます。お聴きになったことがない方にはお勧めします。また、「くそくらえ節」では、「ある日学校の先生が 生徒の前で説教した テストで百点とらへんと立派な人にはなれまへん くそくらえったら死んじまえ この世で一番偉いのは電子計算機」と歌います。何て共感を呼ぶ詩でしょうか。
未だ多くの名曲が残っていますが時間切れになりました。第2弾はそのうちにやりましょう。
次回は、デューク・エリントンです。ビックバンド・ジャズをお楽しみに。
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2011年08月03日

アナログ・レコード鑑賞会8

夕方からの雨模様が鑑賞会ではどしゃ降りになってしまいましたが今回はチョン・キョンファのバイオリンですので集中できました。ピアノと違ってバイオリンは東洋から生まれた不思議な楽器です。倍音の豊かさや持続音がだせること、弓が弾く弦の擦れ音のザラザラ感などと楽器そのものの固有な音と演奏者の力量による音質の違いの創出等魅力のある楽器になっています。このバイオリンをオーディオ装置で再生するのはとても大変です。その真価が問われてしまいますので油断はできません。
今回はマッキントッシュのスピーカーを使用してオルトフォンSPUロイヤルNのカートリッジで再生しました。シェルリード線はシーメンスのビンテージワイヤーに半田はナッソAT7241で作製してセットしました。
何時ものように真空管アンプなどの準備運動を兼ねて試聴しました。選んだのはバイオリン奏者クレメールのジェミニアーニ・バイオリンソナタとロカテルリ・バイオリンソナタです。最初からクレメール節が満開で拍手喝さいになりました。調子に乗って2枚目をとりだしてしまいました。バッハのバイオリン協奏曲BWV1042です。クレメールの繊細な弓使いや音色のコントロールが傑出していました。この2枚のレコードはドイツ盤のエテルナ黒です。
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さて本題のチョン・キョンファに入ります。ブルッフのバイオリン協奏曲第1番ト短調、作品26、スコットランド幻想曲作品46をケンペ・ロイヤルフィルをキングのスーパーアナログディスクとテレフケン・デッカで比較試聴してみました。同じマスターテープであろうこのアナログ・レコードは日本のキングのハイクォリティ技術とドイツ・テレフケンのレコードの製作に対する姿勢などが聴きとれるのではないかと思いました。
最初はキングのスーパーアナログディスクを再生しました。このディスクは180gの重量盤になっているとともに高品質の材料を使って米国でプレスされています。また、ダイレクト・コネクティング、ハーフ・スピード・カッティング、管球式ハイパワーアンプなどにより音楽性豊かなレコードディスクを製作しています。このため、周波数帯域、トランジェント、ダイナミック・レンジ、低歪率、情報密度など極めて特性の良いレコードになっているそうです。
対しましてドイツ・テレフケンは極普通のペラジャケ・レコードです。
ここからは私感になりますが、チョンのバイオリンの存在感は圧倒的にテレフケンが上回っていました。深い闇の奥から聴こえ始めるチョンのバイオリンの切なさはなぜかキングレコードでは表現できませんでした。また、キングレコードはミキシングなど技術的に低域から高域までフラットに作成したのだと思いますが、特にオーケストラの低域がチョンのバイオリンの輪郭をぼやけさせてしまっています。このためオーケストラが邪魔になっているように感じました。テレフケンはチョンのバイオリンの後ろにそっと寄り添っているようでけっしてチョンを押しのけたりしていません。ともあれ、この2曲はチョン・キョンファの心に共鳴する名演に間違いはありません。
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続いてショーソン;詩曲(ポエム)をデュトワのロイヤル・フィルで聴きました。この曲は私の大好きな曲の一つですのでぜひ聴き比べたいと思うのが諏訪内晶子の同曲・同指揮者です。残念ですが諏訪内はアナログ・レコードがないので、掟破りのSACDで聴きました。評論家の宇野功芳はチョンの演奏を評して「これこそ本当の演奏というものだ」、諏訪内を評して「まさに最高の音楽性」と言っています。評論家の評論はさておき、チョンのポエムは作家ショーソンの内面世界をさらけ出す唯一無二の素晴らしい演奏だと思います。一方の諏訪内はチョンよりはいくらか明るめの感情表現でいかにも女性的なポエムに聴こえました。
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今回は聴きごたえのあった鑑賞会になりました。次回はジョン・コルトレーンの咆哮をJBLで聴きます。
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2011年07月20日

アナログ・レコード鑑賞会6

台風の影響で雨降りとなった鑑賞会ですがスピーカーのコーン紙の動きが心配なためにエアコンで部屋の除湿をしました。このエアコンは200vの電源でオーディオとは別系統になっていますので影響はすくないのですが音が若干気になります。何はともかく音を聴いてみなくては始まりませんので雨の日は雨に因んだ曲で露払いしました。最初はイルカの「植物誌」から伊勢正三の「雨の物語」を聴きました。初めて聴いたのはテレビの番組の挿入歌でしたが、この歌詞の入りの部分「化粧する君の・・・」と「誰もが物語・・・」がとても斬新でした。続いて八神純子の「JUNKO」から「みずいろの雨」を聴きました。少し早目のテンポの曲は雨の降り落ちる速さでしょうか。
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湿気が心配でしたが音は軽やかにでてきましたので驚きでした。オルトフォンSPUロイヤルNと自作エナメルリード線の組み合わせがうまくいったようです。
今回はマルタ・アルゲリッチのピアノを中心に聴きました。アルゼンチン生まれの彼女に敬意を表してドイツ・グラモフォンのオリジナル盤で聴くことにしました。最初に選んだアルバムは誰でも知っている旋律、チャイコフスキーピアノ協奏曲1番です。彼女のはつらつとした演奏に引き込まれてしまいました。この曲は聴き様によっては演歌のようでもあります。
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続いては新しい録音(85年のデジタル録音)、マイスキー(ビオラチェロ)とのデュオでバッハの「チェロとピアノのためのソナタ」を聴きました。ここではお互いが相手の邪魔をすることなくかつ、相手の演奏からの引き継ぎが自然に行われ、ゆったりと流れるような演奏に浸れました。ジャズのアドリブ演奏をしているように感じられました。アルゲリッチのピアノだけに耳を傾けても充分楽しめます。
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ここでピアノ演奏の違いを聴くために内田光子とジェフリー・テイト指揮「モーツァルトピアノ協奏曲22番」を聴きました。これは日本盤ですが録音が86年なので先のアルバムとほぼ同年代です。内田光子の演奏はアルゲリッチのスピーディーな力強さに比べてとても繊細かつ美しいと感じました。アルゲリッチと内田光子の世界感は相当な違いがありますがともに素晴らしいです。
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アルゲリッチと言えばショパンとシューマンは外せません。ショパンはピアノの名手としてならしましたし、シューマンは指の怪我でピアニストとしては挫折しましたが名曲を書いて妻クララに託したようにピアノ曲はどれも素晴らしいです。ショパンのチェロソナタ、ポロネーズ、シューマンのアダージョとアレグロをロストロボーヴッチ(ビオラチェロ)とのインタープレイを聴きました。いつもの相手を引っ張っていくアルゲリッチではなく、互角の演奏からは素晴らしい演奏が生まれました。
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続いて同じくロストロボーヴッチとのデュオからシューマンのピアノ協奏曲とショパンのピアノ協奏曲2番を聴きました。アルゲリッチのレパートリーでもあるこの2曲は文句のない素晴らしい名演でした。ブラボーです。
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この名演の後に最後を締めくくる曲の選定は難題です。このアルバム以外は思いつきませんでした。高橋竹山「津軽三味線」1981です。この三味線を聴くと津軽の冬の海が見えます。
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外は雨降りでしたが、演奏会中は全く雨音など聞こえませんでした。とても良い音を出してくれたオーディオ装置にも感謝です。
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2011年06月29日

アナログ・レコード鑑賞会3

白馬地方はいつも雨降り。時々どしゃ降りになり、大雨警報が有線放送で発せられることも度々ですが雨音で良く聞こえてこないので想像しています。
3回目の鑑賞会は湿気と管球アンプの熱でやや高温多湿気味の中で熱の入った演奏を聴き入りました。条件的に良くない環境ではありましたがマッキントッシュのスピーカーは良い音で演奏してくれました。カートリッジはオルトフォンSPUロイヤルに紫エナメルケーブルを使用したシェルリード線を接続しました。
今回はシェラザードを中心に聴きましたが、手始めにポップスを2曲、マーキュリー・リビング・プレゼンスの高音質レコードから「THE TYPEWRITER、THE WALTZING CAT」をLEROY ANDERSONで聴きました。いきなり質問があり「これは何の楽器ですか。」と、えっ、「タイプライターです。」はい。タイプライターをご存じないのは無理からぬことでした。
次にスタンダードとも言えるガーシュインのラプソディ・イン・ブルーとアイ・ガット・リズム変奏曲を小沢征爾指揮ベルリン・フィル、アレクシス・ワイセンベルグのピアノで聴きました。ラプソディ・イン・ブルーはもともとシンフォニー・ジャズのために作曲されたためか古のジャズとして聴けますし、アイ・ガット・リズムではジーン・ケリーを思いだされたとのことでした。
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いよいよ本題リムスキー・コルサルフ シェラザードにはいります。私の一番の推薦盤「ERNEST ANSERMET SUISSE ROMANDE」1960年録音 に対して楽章毎に他の盤との比較視聴をしてみました。
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まず第一楽章の「海とシンドバットの舟」です。お相手はバンガード・ステレオラボ「MARIO ROSSI VIENNA STATE OPERA」です。アンセルメは曲の出だしの威圧的なシャリアール王と可憐なシェラザード妃、海の波のうねる描写がすばらしく感じられた。対してロッシはシャリアール王とシェラザード妃が対立しているように聴こえてこないし、海の描写ではさざ波になっているように感じられるようでした。
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第二楽章は「カレンー王子の物語」をデッカ「LORIN MAAZEL CLEVELAND」です。相手に不足はありません。シェラザード妃とシャリアール王の描写、カレンダー王子の諸国巡暦の様子は管楽器の使い方が違いますが、どちらかと言うとマゼールはきらびやかに、アンセルメはやや控えめに聴こえました。
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ここで聞いてみました。「次の第三楽章はどちら(アンセルメまたはマゼール)の演奏で聴きたいでしょうか。」と、アンセルメに一致しましたのでこのまま続けます。
第三楽章「若い王女と王子」、ここでのお相手はデッカ「ZUBIN MEHTA LOS ANGELES」です。この楽章は私の一番好きなところで、二人の語らいからダンスまでの相愛の描写が聴きどころと思っています。アンセルメは語らいからダンスの入り方が絶妙です。二人のダンスも楽しげです。メータはアンセルメより幾分曲のテンポを遅くしています。このためかダンスが途切れて止まってしまうように感じられます。指揮者の感性の違いがよく表現されたようです。
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最後の楽章は「バクダットの祭、海、難破」です。リビングステレオ「FRITZ REINER CHICAGO」がお相手です。オーケストラの煌びやかで華麗な演奏で一気に聴き入ってしまいます。アンセルメの演奏は最後の最後に消え入るまで素晴らしいです。ライナーはしっかりした良い演奏ですが海の描写はアンセルメが上手でした。
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管弦楽の醍醐味を満喫されたようです。
最後にアンドレ・プレビンのピアノとオーケストラから「A TOUCH OF ELEGANCE」を聴きました。これはデューク・エリントンの曲をジャズ風に演奏しています。ここで「プレピンはクラシックのピアニストではないのですか。」と、「お聴きのとおりジャズをしています。アルバムも沢山あります。」。「Sophisticated Lady」で幕をひきました。
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次回はJBLでなぜかアイドル中心に聴きます。隠れファンのご参加をお待ちしています。

鑑賞会が終わったとたんどしゃ降りの雨。「たどりついたらいつも雨降り」で「白馬はいつもどしゃぶりさー。」と歌がでてきてしまった。
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洗濯船の庭の花は雨たたかれてうつむき加減に。そうした中でもセンジュガンビがキリット咲いています。
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2011年06月15日

アナログ・レコード鑑賞会1

ご近所を対象といっても特に地域を限定しているわけではないのですが、14日の午後8時から洗濯船のライブな部屋でアナログ・レコード鑑賞会を開催しました。
ライブな部屋のスピーカーはマッキントッシュXRT22sですが、スピーカーの高域再生部のタワーに片チャンネル23個のツィーターが縦に配置されている姿は異様に映ったかもしれません。
今回はモノラル盤のLPが多かったのでカートリッジはステレオとモノラルの2本、ライラ・ヘリコンを用意しました。この国産カートリッジは、どちらかと言うと新しいレコード向きなのですが、シェルリード線も新しいケーブルを使用して自作してみました。
アンプはプリ、パワーとも真空管ですので何んとかヘレン・メリルの雰囲気は出せるのではないかと目論んでいました。
さて、今回の状況を搔い摘んでみてみましょう。
最初はシステムの準備運動とリクエストに応えるかたちで「SIDE by SIDE」KAZUO YASHIROからスタートしました。ベーゼンドルファーでSTAR DUST、スタンウェイST.THOMASのピアノの響き具合はうまく表現できたようです。
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続いて本題のヘレン・メリルにはいります。一枚目は「the feeling is mutual」でDICK KATZのアレンジしたもので、THAD JONES、 JIM HALL、 RON CARTERなどをバックにスィンギーにときにはしっとりと歌います。YOU`RE MY THRILL から DON`T EXPLAIN まで片面5曲通して聴きました。DON`T EXPLAIN がらみで2枚目にはいります。「helen mwrrill」、日本ではウィズ・クリホォード・ブラウンで通っていますが、a面1曲目が DON`T EXPLAIN です。最初の36才の歌唱と今回の25才の歌唱の違いをどのように感じられたでしょうか。いよいよ皆さんご存じの有名曲YOU`D BE SO NICE TO COME HOME TO 大誤訳の「帰ってくれればうれしいわ」です。
この誤訳を訂正した後に本日一番(あくまで私感です)の聴きものとして、YOU`D BE SO NICE TO COME HOME TO を「Jo+JAZZ」の jo stafford 、「LEA/IN LOVE」の barbara lea で。
一番良かったと思ったものを伺ったところ、意見は見事に分散しました。ヘレン・メリル盤の人気は衝撃的(マイクに歪んだ顔をぶつけるような)なジャケットなのでしょうか。私的にはクリフォード・ブラウンのトランペットが+なのですが。
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ここでオリジナル盤と日本盤のジャケットの比較をしてみました。ヘレン・メリルもジョー・スタッホォードもオリジナル盤のほうがしっくりしているとの意見で、日本盤ははっきりしすぎていてヘレン・メリルの顔は怖いくらいとのことでした。
ここで気を取り直して「ニューヨークのためいき」に対抗して「日本のため息」の代表「青江 三奈」の恍惚のブルースの登場です。意表をつく選曲にみなさん喜んでいました。この「恍惚のブルース/青江三奈ベスト・ヒット」には本当に「東京のためいき」とい曲があります。私は「伊勢佐木町のためいき」の曲が出てほしいと願っていたのですが。
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脱線ついでと言っては何なのですが、ここまで全てLP盤で聞いてきましたが、EP盤のお話をしたいと思い辺りを見回すと、なぜか近くにあった「やさしい悪魔」キャンディーズ。
これ以上は暴走になるのでしっとりと「Love is the Thing」NAT"KING"COLEを聴き入りました。
バックの弦の響きにびっくりしていたようです。なんでも弦はCDだとあまり聴こえないのだそうです。
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当初2時間の予定でしたが時間の経過が早く感じられ残り少なくなりました。皆さんのワインの小ボトルや缶ビールも空いたようですし、ジャズを聴いてフェードアウトすることにしました。
山本剛のピアノで「MISTY」、この盤はピアノのアタック音がきつく感じられたようです。言ってみればグランドピアノの中の弦を覗き込みながら聴いた感じでしょうか。マルチマイク録音の極端な例でしょうか。続いて「Live at PIT INN」MANHATTAN JAZZ QUINTET で元気な曲RECADO BOSSA NOVAです。これは皆さんに受けたようです。マイクロ・グルーブの洗濯が功を奏したようです。
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最後の締めの曲は「Waltz for Debby」Bill Evans Trio のステレオ・オリジでアンプの火を落としました。皆さん堪能されたでしょうか。
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次回の火曜日はデットな部屋でヘレン・メリルのパックでトランペットを吹いていたクリフォード・ブラウンを中心に聴く予定です。
洗濯船の庭にバラが咲いた。何かそんな歌があったようだが。
チョコレートコスモスも真盛りになった。
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2011年03月10日

1949年製WEケーブル

だいぶ前からやりたいと思っていたができなかったことをやっと出来るようになった。ここに来るまで何十年待ったことか。何てことはない自分の生まれた年に製造されたケーブルを自作製作して音を出すこと。初めに製作したのはカートリッジのシェルリード線。極小のチップに半田付けに手こずるのは予想されたことだが楽しさが勝った。結果、自信作がいくつも完成した。我が家のカートリッジのほとんどが自作に入れ替わってしまった。
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次のRCAケーブルはシェルリード線の後なので半田付けは造作もない。自分で自分をおだてれば何でもやってしまう自分がここにいる。パワーケーブルを作成し最後にSPケーブルを何の加工もせず(ソルダーレス)スピーカーに接続し音をだした。もちろん最初から満足のいく音など望むべくもないことは経験上解っていたが予想を裏切って最初から好きな音がでてきたのには正直驚いた。手前味噌を差し引いても長年待っていた甲斐があったということだろう。このご褒美はとても嬉しかった。
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2010年10月25日

住人の紹介

洗濯船ではライブな部屋とデットな部屋と言ったベクトルの正反対な二つの部屋があります。洗濯船の主はオーディオは良い音は一つに収束すると考えていません。趣味のオーディオとして沢山の良い音が聴けた方が楽しことと一つの良い音だけでは勿体ないと思っているからです。ですので毎年音の解釈を含め変わってしまいます。主は常に自分自身の限界を感じざるを得ませんが、正に今自身の音なのですから万人向けではなくお聴きになった方にはお気に召さない時もままあるかと思いますが笑ってやって下さい。
ここではライブな部屋について徒然草します。文責は全てに主のMにありますのでご承知置きください。
さて、音の良いコンサートホールは大体にして声や楽器などの響きが適当に豊かです。しかしながらこの響きに何かの付帯音が乗って聴こえると楽器などが不鮮明になって聴きづらくなるのも事実です。また響きの少ないホールなどでは電気的に音を増幅しますが、自己主張できる楽器とできない楽器の区別がなくなり何か不自然な気がするのは錯覚なのでしょうか。ライブハウスでも同様なのですが、響きをあまり考慮していない会場が多いためか、ほとんどが音を増幅拡散しています。このような場合、着席している場所によって良く聴こえる音と聴こえない音が存在し、音楽を曲として聴くには不都合があります。
オーディオに於いてもホールなどと同様に部屋の響きが大切なのは言うまでもありません。部屋の響きをうまく利用することでオーディオ機器の設置方法や音楽の聴き方が変わってきます。部屋の響き具合の主な調整はイコライザーや部屋の家具等を併用してよい加減をみつけだすのですが、ここに労力を惜しんでは先が思いやられます。もちろんオーディオ機器そのものの調整は必然ですが。
よく言われているように「オーディオはそこの主の音がする。」と、これは当然部屋を含めたオーディオの調整者がそこの主自身だからで、主の求めた音、もしくは目標にしている音、ないしは妄想している音、等々でありますが、主の感性を含め未経験ゾーンなどの音は望むべくもないと断言してしまいます。
このことから、オーディオの音は十人十色は当然として音楽の好みによっても再生される虚像は限りがないといえます。ましてや主の部屋がオーディオの為にだけ存在するのは例外と考えて差し支えないと思います。
前置きが長すぎました。ライブな部屋についてご案内します。
場所はペンションのダイニングルームです。天井や壁はモルタルを塗ってありますが、なるべく平面にならないようにしてあります。響き具合はまあまあと思っています。塗料の種類によっても多少の音質の変化がみとめられますが、現時点で最善の塗料の判別はできていません。
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この部屋にお似合いのスピーカーとして、マッキントッシュXRT22sを主は洗濯しました。スーパーツィーターはエラックです。
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アンプ(増幅器類)は、ブリにオクターブ、パワーにマッキントッシュ、アナログプレーヤーにテクニクス、イコライザーにソナタ、SACDプレーヤーにリンデマン、その他いろいろです。
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今後この部屋の住人のあれこれやレコードなど順次ご紹介していきたいと思っています。
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