先月といっても3月のことですが、このところの体調不良が25日には限界となり、白馬村の栗田医院にかけこむことになった。
栗田医院での診療の結果、緊急入院となり市立大町病院に緊急入院の手配をしていただいた。
市立大町病院には自家用車を運転して向かった。
早速、緊急診察してもらったところ、重体状態で普通ならば意識のない状態で運ばれてくるほどだ。と、医師は信じられないといっていた。
その後、緊急重篤の個室に入り、点滴、心電、血圧、尿パイプ他のコードやパイプを装備することになった。
二日目に入ると体調は落ち着き、自分の置かれた立場を理解できるようになったが、次々と医師や看護師のお話は情報の非対称があり、理解が進まないことが多々あった。
三日目は、体調が落ち着いたのでこの個室の部屋を移ってほしいといわれたので軽く了解した。
何でもこの部屋は緊急重篤入院用なので次の緊急重篤入院用に確保しておきたいのだそうだ。
移動先の部屋は偶然にも個室が開いていたので躊躇なく選定した。
一泊あたり5,800円とのことで、テレビ・トイレ付の20平米くらいで、東京のビジネスホテルの宿泊よりも幾分安い。
想定外のことは、面会謝絶であったことだ。
いきなりの入院だったので、持つものも持たず身一つと言っていいほどだったので何もない状態は困る。
障害といえば、わが妻は運転免許を取らずじまいなので、JR大糸線を利用する他手はないのだ。
このため何日かにわたって必要物資の運搬に携わることになったものだ。
個室に移ってからは、自分のことは自分でできるだけやるという私の哲学を発揮して看護師さんたちから驚愕の目で見られたりしたが、二日ほどの寝たきりだけなのに足元がおぼつかないし、いろいろと重装備をしている所為もあり、心もとないのが正直なところだ。
そうこうしているうちに、4月を迎えてしまい月日の流れの速さに驚いてしまう。
併せて体調も回復してきたことを感じられ、重装備も軽装備へと変わり心身ともに軽くなったことが実感できたのは喜ばしい。
しかもエイプリルフールはとうに過ぎた4日になると、主治医から6日に退院と告げられ、呆気にとらわれたのが本意になる。
意表をつかれたけれでも内心はほっとしたのは偽りはない。
慌てることはないのだが、我妻に報告することと荷物の運搬は逆ベクトルになることを通知したものだ。
退院当日は、入院時と同じ天候不良となり雨模様の風強しとなり先が思いやられる。
我妻の大糸線・信濃大町到着時間に併せて病院最後の昼食後に退院にした。
いろいろな手続きが、あっちこっちからあり、なかなか先に進まないのは院内の情報共有に問題があるのだろうが、もう退院なので問わないことにして受け入れることにしよう。
病院の人不足を補うかのような自動精算機での支払いにマゴツキながらも支払いを即時済ませてから病院の売店に行き一杯110円のホットコーヒーを購入し、入院中駐車していた自家用車に乗り込んだ。
白馬までは約30分なのだが、久しぶりの運転なのでいつもよりゆったりと走行することにした。
白馬に入り途中スーパーに下車して、夕食などの買い物をして自宅に無事帰還した。
この北安曇郡地域には、こういった言い伝えがある。
「大町病院に入院したら生きては帰れない」。
しかしながら、何とか生還できたので良しとする。
ところだが、夕方になったとたん急激な体調不良に襲われて二時間ほど意識が飛んでしまった。
救急車で市立大町病院に逆戻りするのだけは避けたいとの気持ちだで乗り切り、自分の意志の強さを確認できたが、他人には勧められない。
夜になってから落ち着き、久しぶり自宅での夕食になり生還を実感できた。
普段の不摂生のつけが噴出したことをしっかり反省することが今回の教訓だろう。
病院通いはまだ続く。
体だけは本当に大事にして下さい。お互いもう若い歳でも無いですからね。でも日頃の運動で自分よりは体力が有りそう。でも、過信はダメですよ。
木曜日に退院できて現在は療養中です。体力・筋力・気力の挽回につとめているところです。
昨日は一か月振りに、マッキントッシュのSPでCDのリーモーガンを聴き、惚れ直しました。