糸魚川市大所にある「木地屋民族資料館」において、「白馬登山黎明期と木地屋集落」という特別展が10月末まで開催されているので行ってきました。
この展示会は資料館の隣にある、木地屋の里文化センター「栃の木」で、土日祝日のみの開館なので、なかなか時間的な都合がつかないままだったので意を決して出かけたのでした。
展示会のテーマは凡そ四つになっていて、
@は、大所木地屋の歴史 で、江戸時代の末期に飛騨から三軒の木地屋がこの地に来住したことと、その後に高田藩の要請によって妙高山麓の笹ヶ峰に入植したが困窮し再び大所に戻ったこと。明治期以降は漆器産地として隆盛期を迎えたが、太平洋戦争以降は需要の低迷などから衰退し長い歴史に幕を下ろした とのことです。
Aは、ウェストンと木地屋 で、ウェストンは明治時代の半ばに来日し、日本アルプスを国内外に紹介した登山家として知られている。このウェストンが明治27年7月に糸魚川から大所・木地屋を経て蓮華温泉に一泊し白馬岳に登頂し、復路も木地屋にたちよった とのことです。
Bは、蓮華登山案内と群長加賀谷朝蔵 で、大正6年4月に白馬岳登山案内としては最初期のひとつ「日本アルプス蓮華登山案内」が刊行された。この冊子の企画を担当したのが若き群長で白馬登山越後口の整備と普及に努めた とのことです。
Cは、無料休憩所と登山芳名録 で、白馬登山がようやく一般化され始めた大正時代に、木地屋のヤジロ家では登山者の便をはかって無料休憩所を開設した。そして登山者名簿を置き記帳を促したことから昭和22年まで5冊の貴重な名簿が残されている とのことです。

この後に、木地屋民族資料館に立ち寄ってところ、館長の小椋裕樹さんから説明を受ける厚遇にあうことができ、とても貴重な時間を過ごすことになりました。

特に「手回しろくろ」の実物や、木地氏の生活、道具類・仕掛かり及び完成品などの展示は見ごたえのあるものでした。
また、移築されたこの館の三階は、なかなかみることのかなわないものでしばし圧倒されました。
予備知識として白馬の木地師のことをしってはいましたが、この大所の木地師の二家族が、大所から笹ヶ峰に行く前に白馬の青鬼に10年間移住していたことを確認できたのは収穫でした。
大所と白馬の木地師の関係がとても深く、青鬼には居住跡とお墓がのこっていますが、その場所を突き止めるまでにはいたっていません。