2019年09月23日

糸魚川・川西谷

丁度一週間前になるのだが、白馬公民館主催の歴史紀行「糸魚川・川西谷」に参加してきた。
講師は、何時もの田中元二氏で、今回は藪こぎなどの難儀は無いと思う。
以前に川東を参加したので、今回も何とか参加できるように神頼みしていたところ、巧く抽選に当り参加と相成った訳であった。
川西は新潟県に注ぐ姫川の左岸に当る場所で、塩の道沿いでもある。
小滝から左に折れて朝霧地蔵に行ったが、生憎の雨模様なのでマイクロ・バスの車内からながめるだけにした。この地蔵は、小滝村の百姓が年貢を納めに行った帰り道で雪崩に遭い、死者やけが人を出す惨事が起きたことを供養してたてたものだ。この一帯は「山の神」として木々の伐採を禁止したとしているとのことだ。
塩の道にほぼ沿って進むと、菅沼峠にかかる。標高410mとわが家より350m程低いのだが、5月中旬まで雪が残り、ここの峠からサカキやタケの自生地が見られ、植生が変化するのが解る。
峠の北側に謙信・信玄の像が安置している。越後らしく大きい像のほうが謙信ということになる。
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ここから少し北進して不動滝に行く。
高オカミ(雨へんの下に龍と書く)ノ神の鳥居を抜けて、手前には名前の無い筋状の滝があり、その先に不動滝がある。
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滝壺には龍が住むと言われ、石を投げ込むと大雨を降らせるということなので、昨日、誰かが石を投げ込んだのだろう。傘が風とシブキと雨脚に吹き飛ばされそうになりながらも前進したものだ。
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ここから一旦日本海まで出て石灰で有名なデンカの広大な敷地をかすめて、かつて真言宗の金剛時の門前集落であった、寺地を過ぎ青澤神社に寄った。
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祭神はタケミナカタの母、奴奈河姫。古くは日連(ひづれ)神社といい日蓮権現と称していた。
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ここからは、親不知を明治天皇の行脚と同様に避けて、奴奈河姫の母と姫を祀る黒姫山の山麓を過ぎ、橋立の石灰の製錬遺構に立ち寄り、
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橋立金山を左に眺望しながら坂田峠を越して、上路(あげち)の十二神社に行き、北村喜代松の彫り物、「松に鷹」、「子連れ獅子」の名作を拝観した。
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因みに、親不知を通る路を「下路(しもみち)」と言うのだそうだ。
この集落には、山姥と息子の金太郎が住んでいるらしく、金太郎のブランコやお手玉をした石などがあり、山姥神社もあった。
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越後と越中の境にある境川を超えて境関所跡、護国寺に立ち寄った。
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護国寺には、境関所の奉行であった長谷川氏の、おきて破り(娘を他藩に嫁に行かせたこと)のため、一家もろとも惨殺されてしまった供養のための長谷川地蔵仏があったりする。
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ふたたび、境川を超えて越後に戻り市振関所跡や桔梗屋敷跡に立ち寄った。
松尾芭蕉の「奥の細道」には、ここ市振に宿をとった際の句が残っている。
「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」と詠んだ句の宿が桔梗屋と伝えられている。
「遊女」とは、今で言うダンスが巧い地方巡業をするアイドルのようなものだったのだろう。神話では、天の岩戸の前で妖艶な踊りをしたアメノウズメノミコトがそのはしりだろう。
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この後、親不知・子知らずを、旧北陸線のトンネルなど歩きながら探勝したものだ。
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最後には、普段はなかなか行くことのない、見ることのない姫川の河口に行き、今日の歴史紀行の幕を閉じた。
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そういえば、白髭神社の祭神の名前が中々思いだせなかった田中先生だったが、暫くかかって猿田日子神を思い出せたので良かった。
こちらとしては、ハラハラドキドキしていて、如何しようか・口出ししようか、と焦ったのだった。
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とにもかくにも、今回の田中先生の講座では、前回のように廻っているうちに人が一人増えたりしなかったようなので、良しとしよう。
   親不知 子はこの浦の 波枕
        越路の磯の 泡と消えゆく

posted by みのさん at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節風
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