2019年03月21日

春分の日は

太陽が真東から登り、真西に沈む日であり、昼夜の時間が同じになる日である。
また、彼岸の中日にもあたる日で、夏のお盆と同様にお墓参りをして、死者や先祖の霊を慰めるハレの日である。
この彼岸は、もともと悟りの岸に至りつくを意味していたのだが、いつしか死者供養と結び付けられるようになったもので、悟ったものの往く理想国土と死者の赴く他界の意味の二つの意味があった。
そうこうしているうちに、彼岸は漠然と死者たちが住む世界と考えられ、その他界から一年のうちの一定の日に限って死者や先祖の霊がこの世に訪れてきて、死者や先祖と生者が交流する日となってきた。
昼夜の時間が同じ日という意味では、彼岸の中日に、午前中は太陽に向かって歩き、午後は西に向かって歩く、日迎え・日送りといった風があり、太陽を迎え送ることで豊穣にあやかろうとした太陽信仰に由来することが解る。
また、日没時に西方に向かって合掌礼拝し念仏を唱えることにより、極楽浄土への往生といった、その願いがかなえられと信じられた。
我が国における一般的な観念として、農耕社会が生み出した太陽信仰と大陸渡来の阿弥陀如来・西方浄土信仰とが合体し、いかにも日本人的な特質が反映されているように思う。
さて、私のほうは仏徒なのでこのとおりなのだが、奥方の方は神徒なので話が変わる。
常世(とこよ)という不老不死の国が海の彼方にあると考えられてきて、彼岸よりは明るい生の世界のイメージが付きまとうのは考え過ぎかもしれない。常世の観念は神話時代からさまざま語られてきたが、中世ごろになって熊野のふだらく信仰としてひろがりを見せた。これは、イザナミノミコトが葬られたところであり、古くから死霊が宿る冥界(黄泉の国)とかんがえられていた。ここでは付陀落渡海と言う名の捨身入水の風習が行われるようになった。臨終をまじかに控えた修行僧が舟にのって観音浄土に赴いて往生しようと願ったものだ。
これは、神教と仏教の融合に他ならないだろうから、わが家も神仏混合と相成ることにしている。
今日のような荒れ模様では、先祖と言えどもこの世に参じるのは容易ではなくなだろうから、丁重にお迎えしなくて罰が当たることだろう。
いつも困った時の神・仏頼みばかりしている身としては、神の使いである三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)のように身を慎むことにしよう。
この為、今日はスキーには出かけないことにする。
posted by みのさん at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節風
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