2017年08月31日

面白くなくなったJAZZ

最近といっても、もう大分時間が過ぎ去っているがJAZZが面白くない。
技巧に走り過ぎていたり、演奏者の自己満足に終始している演奏を聴いても心を打つ事が無いのだ。
この為かライブ演奏から足が遠のき必然と古いレコードを引っ張り出してJAZZを楽しむことになってしまっている。
いみじくも、昨日放映されたトランペッターとジャズをやりたかった暴走少年ドラマーの軋轢が表面化してしまったのは、現在のJAZZを取り巻く現況を端的に伝えていて納得したものの悲しいと思わざるを得ない。
もし、トランペッターがJAZZトランペッターだったら、暴走少年ドラマーとトランペットで対決しただろう。そうなればスリル満点のアドリブ合戦に突入して、会場はJAZZの熱気が充満し本当のJAZZを
堪能できたはずだ。
こうした中で、もし能力が足りないと悟った少年は暴走を止めることになるだろうし、その後この少年はより精進してこのトランペッターを凌駕し世界に羽ばたく事になるかもしれないではないか。
このような若い芽を育てることを見失っていて形式だらけのこの世界では未来はありえないだろう。
決められたことをきちんとこなしていき、暴走を認めないのではJAZZとは名ばかりで、吹奏楽や軽音楽との違いは認められない。
必要なのは節度ある決まり切った中に押し込むビンタよりも、暴走を快走に替えるJAZZ的センスではないだろうか。
デュークエリントンのライブ演奏にトランペッターの暴走が記録されているが、この熱い演奏は後々までの語り草になっている。
ジョン・コルトレーンの暴走を誰が止めようとしたか。
クリフォード・ブラウンに割って入るソニー・ロリンズは暴走なのか。
これがJAZZだろう。
もっと悲惨な事と言えば、このトランペッターはJAZZを捨てていることは未だしも、演奏者の魂とも言える楽器、即ちたとえステックと言えども楽器を投げ捨てることができるのは、そもそも演奏者としてのステイタスをも投げすててしまったのに等しい。
世間の評判とは裏腹の醜態を晒してしまったのは、新しい芽をつぶそうとしたこととともに取り返しがつかなくなった。
褪めたJAZZには魅力が無いに等しい。
posted by みのさん at 11:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 音の聴こえてくる風景
この記事へのコメント
ご無沙汰しております。
杜の書き込みを見て,読ませていただきました。
卓見ですね。感激しました。
ときに暴走する若者の情熱を活かし育ててこそジャズですか。
ジャズのなんたるかを知らないぼくですが,この記事で,それが少しイメージできたような気がします。
Posted by リキ at 2017年09月10日 20:01
リキさんご無沙汰しています。お怪我は完治されましたでしょうか。
田舎老人の戯言にお付き合いいただきありがとうございます。
羽目が外れてこそJAZZと思う日々です。
Posted by 洗濯船M at 2017年09月10日 23:24
 さすがに日野氏とブラウニーやロリンズを同列に評価するのは日野氏にとって酷なのではと思いました。(TBMの中でもパッとしたアルバム無いですし)

 日本人で世界に通用しそうな人は、上原ひろみくらいしか思い当たりません。
 そんな立場の彼としては、精一杯のリアクションだったようにも思えます。

 これって、元スレより、日野氏に対してもっとヒドイ事を書いちゃってますね。
Posted by たまちゃん at 2017年09月11日 22:27
たまちゃんさん、こんばんわ。JAZZを面白くする一つの方法は、セロニアス・モンクのサービス精神(指がスムースに動かないように太い指輪をはめて弾いたりした)をお手本にすべきだとおもいます。
上原ひろみは遠く理解不能なところ(コミュニケーションできない)にいて面白くありません。
これは私自身がふかん症なのかな。
Posted by みのさん at 2017年09月11日 23:21
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