こんな日こそ花々の撮影にはもってこいだ。
花の撮影に限らず撮影するに当たっていろいろと道具を持ち出し美しくしようとするのが一般化しているようだが、ありのままの状態に勝るものはないと思っている。作為に満ちた写真が感動を呼び起こすのであれば、それは不自然さを忘れてしまったことに他ならないだろう。
これは写真を撮るマナーにも通じているのは疑いようのないことだ。
常識を逸脱しても撮影したい場所に入りこんだり、物を移動させたり壊したり、対象に対して付加したり、他人の三脚を撤去して自分の三脚を立てたり、場合によっては常識人の顔をして他人をののしったり、いとまがないほどである。しかも、ほとんどが高齢者であり、グループであることが始末に負えない。
良い光の加減を求める努力なしに楽して特別な成果を望んでいる姿は、即席の料理や豪華な食材の料理をグルメと言うのと同様に本当は味気ないものなのだと言うことを気づかなければいけないのではないだろうか。
ある程度の高齢になって自己制御のできない衆が撮影した写真では本当の感動は生まれてこないだろう。
こころを打つ映像には作為が感じられないものだが、こうしたことに限らず作為的な事柄が日本中に蔓延しているようで情けない。
しかしながら、他人事と言うまでも無く何時か自分がとの思いがあるのも事実なので、常に反面教師として戒めていよう。
元に戻って、昨日まで硬い蕾と思っていた野茨がいよいよ咲きだした。清楚であり、逞しくもあり、強い薔薇は何時でも美しい。
薔薇は他にも
カクテル、
テディベア、
アイス・バーグ、
シュトラウス、
忍ぶれど、
ラビィーニャ、
などが咲いている。
また、
キスゲ、
クレマチス、
ハマナス、
など
など
いよいよ花盛りになってきた。